Vol.78 2005年 6月

  6月になったというのに、ぜんぜん雨が降りませんね。洗濯物がよく乾くのはいいのですが、庭や畑の水やりが、たいへんです。ずっと、畑の用水路にも まったく水がなくて、毎日せっせと水を運んでいました。きょう、6月4日にやっと、用水路に水が流れていたのでうれしくて、水くみをしました。
 5月30日に、プルーノートにデイブ グルーシンというピアニストを聴きにいきました。私の記憶では、福岡に来たのは私が、20代の頃以来ではないかと思います。
 学生の頃から、彼の音楽をよく練習していましたし、今も、ライブで演奏しています。年齢も、70歳ですし、今回の来日を知った時は、興奮しました。しかし、私が聴いていた頃の演奏と、今の彼の演奏は、もしかしたら違うかもしれないと、覚悟して、聴きに行ったのですが、なんのその!すばらしい演奏でした。しかも、いわゆるジャズのスタンダードだけではなく、マウンテン・ダンスという、フュージュンの名曲を最後にやってくれました。ゴージャスでした。
 この次のライブでこの曲をやろうと思っています。
                                                   奥野かおり
  

ゆりが咲きました!

作編曲家/キーボード奏者、デイブ・グルーシン Dave Grusin(1934〜)

 フュージョンを広めた、立て役者の一人
 1970年代前半、ミュージック・シーンに一つの大きな流れが生まれました。ジャズとロックの融合によって誕生したフュージョンの流行です。スマートなセンスとファッショナブルなそのサウンドは、それまでジャズ一筋だったファンをも取り込んでいきました。そんなブームの中でもっとも重要な役割を果たしたアーティストの一人がデイブ・グルーシンです。 もともとは歌手の伴奏やテレビ・映画用の音楽を作編曲していたグルーシンの経験と才能は、緻密なアレンジが必要とされるフュージョン・ミュージックで存分に発揮されることになります。ハイセンスでありながらわかりやすい彼の音楽は、リスナーはもちろんミュージシャン仲間からも高く評価されました。パティ・オースティンの『ハバナ・キャンディ』やアール・クルーの『フィンガー・ペインティング』、リー・リトナーとの双頭リーダー作『ハーレクイン』など、グルーシンが参加・プロデュースしたフュージョンの名盤は数え切れませんが、中でも忘れられないのが我が国の代表的サックス奏者、渡辺貞夫とのコラボレーションです。『マイ・ディア・ライフ』『カリフォルニア・シャワー』などの大ヒットは、グルーシンなくしてはありえなかったともいえるでしょう。

 70年代後半になるとグルーシンは、フュージョン専門のレーベルと言ってもいい「GRP」を設立。盲目の女性歌手ダイアン・シューアやラテン・フルートの貴公子デイブ・バレンティンといった有能な新人を発掘する一方で、ジャズ界を代表するキーボード奏者であるチック・コリアとも契約を結び、傑作の数々を世に送り出しました。また85年にはGRPのアーティストを総動員した“GRPオールスター・ビッグバンド”を結成し『オール・ブルース』などのアルバムをリリース、“ビッグ・バンドは売れない”という業界の常識をくつがえしました。このところ新作のニュースがないグルーシンですが、あの軽やかなサウンドでふたたびファンを魅了してほしいものです。